奥羽二の宮であったが、明治に入り、政府から新たに新一の宮が六社認定されました。岩代国新一宮として伊佐須美神社が認定されました。崇神天皇十年、東西へ四道将軍が派遣されました。北陸道へは大毘古命が。東海道へは大毘古命の子・建沼河別命が派遣され、この地で再会しました。よって、会津という地名になったと。新潟・福島両県の県境の御神楽山に、伊弉諾尊・伊弉冊命の二柱を奉齋した(古事記)。のち、博士山、波佐間山(現明神嶽)への遷座を経て、欽明天皇十三年、現境内南側の高天原(傍に神代桜が)に、同二十一年現在地へ遷座と。その後、大毘古命・建沼河別命の親子も合祀された。何度も火災により焼失したが、再建計画中です。正式参拝をさせて頂き、宮司様からの説明も頂きました。その後、会津大國魂神社を参拝し、会津の弥栄を祈念しました。